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梶原

【ひと休みコラム】ドラァグクィーンへの道


ドラァグクィーンへの道

Cラボが運営するまちづくりセンターには個性的なメンバーが揃っています。そのなかでも群を抜くのがショコラ・ド・ショコラさん。日中はまちセン支援員として働き、夜はパフォーマーとして活躍しています。普段は知り得ないショコラさんのもう一つの顔、ドラァグクイーンについて聞きました。

ショコラ・ド・ショコラ

Freeにクルクル回ってズキュンッ♡ 宇宙と直結☆ 虹の橋を渡れば 一緒にクルクルミラクルーン♪ ショコラくるくるの世界へようこそ☆

Q ドラァグクイーンってなんですか?

ドラァグクイーン(drag queen)は、ゲイ文化から生まれた「女性性」を過剰に演出するパフォーマンスです。衣装の裾を引き摺る(drag)ことからこう呼ばれています。日本には、90年代初頭にミス・グロリアスこと古橋悌二さんが、ドラァグクイーン文化を持ち込んだと言われています。

Peek a Queen For Children’s Curiosity

“Peek a Queen For Children’s Curiosity”

(写真中央がショコラ・ド・ショコラ)

本イベントは一般財団法人大阪府人権協会の「2019年度 人権NPO協働助成金」を活用しています。

先月、大阪の新今宮にあるカフェバーで絵本の読み聞かせを行いました。ニューヨーク発祥のジェンダー教育なのですが、恐らく関西では初めての試みだと思います。まだ自分の性をはっきりと自覚していない小学生くらいの時期に、あえて子どもの理解度に合わせたりせず、ドラァグクイーンである私たちとの生の出会いを用意しました。

「ジュリアンイズマーメイド」「王様と王様」「人魚姫」の3冊の読み聞かせをしました。紙芝居の絵は、本場ニューヨークでは子ども向けにかわいらしいタッチで描かれていますが、私たちはありのままに、ショーも普段通りロックでエロティックな演出で行いました。「私たちは見ての通りコレなんだけど、もっと見たければ早く大人になれば」というスタンスです。

子どもたちは終始ポカン。それでいいんです。彼らはこれから学校や社会で変わった子を見ても、「まあドラァグクイーン見たしな。全然いいやん」と自然と色んな性を許容するんじゃないかと思います。自分たちの性にも大らかになってくれたらいい。ただ、ドラァグクイーンはエコでも健康でもないので、SDGsの流れには逆らってますけど。

MAMリサーチ006:クロニクル京都1990s―ダイアモンズ・アー・フォーエバー、アートスケープ、そして私は誰かと踊る

六本木の森美術館では、“社会的にも政治、経済的にも複層的な背景から生まれてきたアジアの現代アートについて考察”するリサーチの一つとして、90年代の京都、特に左京区の表現活動をけん引したドラァグクィーンのパーティー「ダイアモンズ・アー・フォーエバー」が取り上げられました。

私は現在の「ダイアモンズ・アー・フォーエバー」のメンバーなのですが、この展覧会のクロージングパーティーでは、当時のレギュラーメンバーが総出演した映画『ダイヤモンド・アワー』(1994)の映像に合わせて実験的なパフォーマンスを行いました。

映画は、1992年にHIV感染を告白したミス・グロリアスをクリスタル・シティに見立て、その体内で繰り広げられるHIVウイルスとの闘いを描いたものです。文化やジェンダーの多様性、人権について、現代アートの文脈のなかで捉えられたドラァグクィーンの展覧会には、また新鮮な驚きがありました。

大阪芸大でのメイク講座「作品を見る側から見られる側へ 」

大阪芸大でのメイク講座「作品を見る側から見られる側へ 」

(写真左端がショコラ・ド・ショコラ)

昨年5月、大阪芸術大学で講師を務める先輩ドラァグクイーンからオファーを頂き、メイク講座のゲスト講師を務めました。芸大の生徒は普段、作品を作る側もしくは見る側です。メイクやファッションを自分に施すだけではなくて、“見られる側”になった時、どう在り、どう振る舞うか。パフォーマーという主体の経験は、きっと作品を作る時にも生かせるんじゃないかと思いました。

ピカソプロジェクトの講師もしています。子どもたちの感性をアートで育む教育手法です。廃材を組み立てたり、手形で遊んだり、「表現する」ことを通して個性を伸ばします。私はドラァグクイーンという自分が魅了された世界で、舞台に上がって歌って踊り、表現することの楽しさでいっぱいです。子どもたちの「自分らしさ」も引き出していきたいと思っています。

ショコラ・ド・ショコラ

Q 子どもの頃からドラァグクイーンに興味があったんですか?

ドラァグクイーンという存在を知ったのは高校生になってからですが、子どもの頃からアヴァンギャルドなものに心がときめきました。

最初にそういう世界に触れたのは、宝塚歌劇団でした。テレビで宝塚を観てから、幼稚園に登園していたのを覚えています。小学校に上がる頃には、BSの『ファッション通信』に夢中でした。サングラスがトレードマークのジャーナリストの大内順子さんが、パリやミラノなどのコレクションを解説するファッション番組です。コム・デ・ギャルソンやヴィヴィアン・ウエストウッドの前衛的な造形や裸でランウェイを闊歩するモデルなど、衝撃を受けました。

NHKの『天才てれびくん』に出演していたローリーも印象的でした。細い身体に濃いメイク、彼の全てに恋しました。高校生の時は、日テレの『THE夜もヒッパレ』に出演しているローリーを楽しみに観ていました。ある日、大阪のクラブでローリーのライブがあると知り、母にお願いして一緒に行ってもらいました。クラブは暗くて危ない場所だと思っていたので、一人で行くのが怖かったんです。そのライブの前座がドラァグクイーンでした。

一目で「これだ!」と思いました。

宝塚のパフォーマンス、奇抜なファッション、ユニセックスなローリー。これまで好きだったものの点が、一本の線でつながった感覚でした。ドラァグクイーンになりたい!でもどうしたらなれるのか全く分からず、Googleで「ドラァグクイーン、なり方、募集、アルバイト」と検索しましたが、ヒットなし…。気を取り直して、まずクラブだ!と、クラブ通いを始めました。

そこでひときわ目を引くゴーゴーダンサーに出会いました。彼女の宇宙っぽいダンスは誰よりもかっこよくて、「ダンス初めてなんですけど、やりたいんです!」と勢いで声を掛けました。チャンスは今しかないから連絡先を渡しておかないと!と思ったけれど、ペンがない。咄嗟にバッグからアイラインを取り出して、目の前にあったコースターに名前と電話番号を書きました。

暫くして、「新しいグループでやろうと思うんだけど、一緒にやる?」と電話をくれました。やります!、即答です。そこから6年、ダンサーとして活動しました。でもふと、どんなに踊ってもドラァグクイーンに一歩も近づいていないことに気がつきました。それをmixi(ミクシィ)につぶやいたら、大学のゲイの友だちが飲みに誘ってくれて、「ドラァグクイーンのイベントがあるんだけど、一緒に行く?」と。行く!、即答です。

いろんな出会いから女性ドラァグクイーンのブブ・ド・ラ・マドレーヌさんに巡り会い、京都のイベントを紹介してもらいました。初めて京都のドラァグクィーンのパーティー「ダイアモンズ・アー・フォーエバー」へ行った時には、クラブの階段でメイクをして、トイレで着替えました。少しでも私の印象を残したかったんです。そうやって何回か訪れるうちに、西の魔女と言われる関西ドラァグクィーン界の大御所、シモーヌ深雪さんが目を留めて下さいました。

「あの子、だれ?」。

初めてドラァグクイーンとしての出演が決まり、私は4時間かけて渾身のメイクをしました。見に来てくれた先輩ドラァグクイーンの一人が、「あんたのメイク、ぶっさいくー。そんなんで舞台に上がるなんて許されへん。すぐに落として!」と、フルメイクを施してくれました。これは本当にありがたいことなんです。そんな初舞台でしたが、イベントを繰り返すうちに、隔月のショー出演のオファーを頂きました。13年前のことです。

私、もう絶対に夢は叶うって分かってます。

まだ叶っていない夢があるとしたら、それはきっと、「今」叶ってしまったらデメリットになるから、無意識に自分でぶっ壊していると思うんです。だから叶うべきものは、全部叶ってきたように思います。ドラァグクイーンになることも、ローリーと同じ舞台に立つことも、子どもたちに教える夢も、全て叶いました。

私、夢を持つと最後の絵が浮かぶんです。ゴールが見えているから、やるべきことも分かるし、チャンスは逃さない。次に見えている絵は…、ヒ・ミ・ツ♪ もちろん、絶対に叶います。分かってるんです。

区民まつりではフェイスペイント

区民まつりではフェイスペイントをお手伝いしました。

取材・文:梶原千歳 

イラスト:阿竹奈々子


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