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梶原

【ジュニア防災キャプテン】4 インタビュー


出水さんの原動力

今夏、大阪市天王寺区で開催された「U-15のための防災ワークショップ ジュニア防災キャプテン」の連続講座を追いました。

その模様はコチラ。

ジュニア防災キャプテン

ワークショップのメイン講師である「わたし×防災を科学する アイビーラボ」代表の出水季治さんは、Cラボが運営する大阪市阿倍野区まちづくりセンターのアドバイザーでもあります。

休日には地域コミュニティや企業などで多くの防災事業に取り組む出水さんに、その原動力や防災への想いを聞きました。(インタビュアー:Cラボ梶原)

 

出水 季治(いずみ・すえはる)

一般財団法人大阪市コミュニティ協会 阿倍野区まちづくりセンター アドバイザー(平成28年より)

わたし×防災を科学する アイビーラボ 代表(平成30年設立、非営利活動を行う任意団体)

日本防災士機構認証防災士(平成28年取得)

大阪市天王寺区区政会議委員(平成24~29年)

趣 味:子育て、家族孝行、幹事

息抜き:コカコーラ

 

 

インタビュー

防災×家族×コミュニティ

 

梶原

「U-15のための防災ワークショップ ジュニア防災キャプテン」の主催はママコミュ!ドットコムで、代表はパートナーの出水眞由美さんですね。今夏で4年目となり、息子さんの眞輝君(小学6年生)も講師として参加しています。親子3人で防災ワークショップを始めたきっかけは何ですか?

出水

家族で一緒に取り組もうと考えに考えたテーマが「防災」だったんです。

嫁さんは大学で後に市長となられる磯村ゼミに所属し、卒業後(公財)大阪国際交流センターへ入り、国際交流事業や広報などを担当していました。

息子眞輝の産休・育休中に、これまでの経験や知識をベースに、自分が好きなことを好きなタイミングで自由にやってみたいと、“親子で学ぶ”イベントを始めました。

そして、眞輝が小学校に上がる時に仕事を辞め、平成27年には「ママコミュ!ドットコム」を立ち上げました。“ママと家族がコミュニティとつながる新しいコミュニケーションサイト”です。

約1年後、阿倍野区まちづくりセンター(以下、まちセン)のアドバイザーをやってみないかと、嫁さんに話がありました。嫁さんは仕事を辞めたばかりなのでと丁重にお断りし、僕を“身代わりに差し出した”のです。

そんな経緯で今、まちセンでお世話になっています。

地域コミュニティづくりの基盤は、福祉・防犯・防災と言われます。

まちセンには、地域の防災訓練に関する相談が特に多く寄せられました。

マンネリ化した防災訓練の内容を変えて、たくさんの人に参加してもらうにはどうしたらいいのか。

事例を調べ防災について勉強する中で、防災士の資格を取ることは自然な流れでした。

ママコミュ!のイベントでは毎回ゲストスピーカーを迎えて講座を開いていましたが、そのスタイルにも限界を感じて、「自分たち自身が学ばないと」と思うようになりました。

そして選んだテーマが「防災」です。

防災は、老若男女問わず誰にでも関わることであり、地域コミュニティの要でもあります。

僕が防災士としてワークショップを行う姿を見た息子は、それをかっこいいと思って自分もやりたいと言ってくれました。

しかし、防災は人の命に関わることです。やるからには生半可な気持ちでは困るので、防災士の試験を受けさせることにしました。それで嫁さんも息子と一緒に受けることになったんです。

平成29年、3度目の試験で合格した眞輝(当時9歳)は、全国最年少の防災士として注目され、地域や企業、学校での防災講座に招かれ、テレビや新聞で取り上げて頂くようになりました。

そこで家族の防災ユニットとして、「わたし×防災を科学する アイビーラボ」を立ち上げました。

息子の存在があったからこそ、「子ども目線」を取り入れるようになりました。

嫁さんは大阪国際交流センターで事業の企画運営を長年やっていたので、一緒にイベントを企画・運営しても安定感があります。お互いのレベルが分かっているので、変な気苦労もありません。

梶原

出水さんと奥さんと息子さんで最高のチームなんですね。それでも、フルタイムでまちセンの仕事をしながら、お休みの日にアイビーラボの活動を行うのは、かなりハードだと思います。ワークショップを一つ主催するにも、事前準備や関係機関との調整など、やらなければならないことは山ほどありそうです。活動への熱意や原動力は、どこからやってくるんですか?

出水

もともと、イベントが好きなんです。

高校は一応勉強が中心で学園祭がなかったから、他校が羨ましくて、学園祭への憧れが募りました。

大学へ入りイベントができるということで放送局というクラブに入り、4年生の時には80人を超えるクラブの委員長となり、大学祭の実行委員会にも招かれ、企画の総責任者を務めました。

マンモス大学だったので実行委員だけで数百人規模でした。大学側と折衝して1,600万円の予算を確保し、すべてのイベントに企画書の提出を義務付け、予算配分を決定していきました。

大学生にありがちな豪華景品で人を呼ぶ企画は予算を削り、浮いたお金で地域住民にクーポン券を配布するなど、大学生だけでなく地域に愛される大学祭をめざしました。

それがすごく楽しくて、今のベースになっているのかもしれません。

確かに仕事に加えてアイビーラボの活動をするのはハードですが、全然苦じゃないんです。

それに重なる部分も多いですしね。

非営利活動なので儲けるためでもなくて(儲けにもならないけれど)、シンプルに、参加する人に楽しんでもらいたいという気持ちがあるだけです。職場の忘年会や暑気払いを企画したり(僕は飲めないけれど)、誰かの誕生日をお祝いするのも好きですよ。

イベント好き、人を喜ばせるのが好き、ただそれに尽きます。

梶原

Cラボには、色んなスキルやバックグラウンドを持った人たちが集まっています。採用試験に加え、キャラも重視されているのではないかという噂もあります。出水さんのバックグラウンドを教えてもらえませんか?

出水

学生時代は上本町のシェラトン都ホテルでバイトしていました。当時は都ホテルが大阪国際交流センターのホテルも経営していたので、両方へ行っていました。卒業後は大阪国際交流センターホテル専属となり、レストランやバー、宴会などでサービスを担当しました。

平成13年、USJが大阪に開園されることになり、ゼロからサービス業を学んでみたいと思い、オープニングスタッフに応募しました。一から勉強できると意気込んでいたのですが、それまでの経歴が考慮されてか、いきなり80人のスタッフを管理するフロア・マネジメントを任されました。

このままマネジメント一本でいくのかと迷っていた頃、大阪国際交流センターからホテル配属ではなくセンター配属で貸館事業に取り組んでみないかと電話がありました。

人の役に立ちたい、サポートすることが自分には合っていると思っていましたので、お世話になることにしました。大阪国際交流センターでは主に、官公庁の式典や国際会議、医学系学術会議などのコーディネートを行いました。

大阪国際交流センターは大阪市の外郭団体でしたので、まちセンの一員となった今でもその時代にお世話になった方々に色んなところでお会いするんです。みなさんとっても偉い方になっていらっしゃるんですが…。

その後、郵政公社へ転職して9年勤め、次に入った印刷会社で2年目になった頃、まちセンに勤務することになりました。

梶原

まちセンでは広報物を作成することも多いですし、フォーラムなどのイベントも頻繁に主催します。

地域の方からはあらゆる相談が寄せられ、ある種、サービス業であるようにも思います。奥様はまさに出水さんが適任だと見抜いていらしたんですね。本日はありがとうございました。

防災士一家

(左から)出水季治さん、眞輝くん、眞由美さん

取材・文:梶原千歳 

イラスト:阿竹奈々子

 

【ジュニア防災キャプテン】全4回

4 インタビュー

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