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梶原

【港区コミュニティを科学する②】1 田端尚伸氏


チカツ

 

地域コミュニティづくりを専門とするCラボは、大阪市24区のうち10区の地域と行政をつなぐ中間支援組織「まちづくりセンター」を運営しています。

そのなかの一つである港区は、総務省のモデルコミュニティとしてレポートで紹介されたり、全国自治体学会で地域の市民活動ボランティアが発表を行うなど、地域自治の成功モデルとして全国から注目が集まっています。

【港区コミュニティを科学する】では、まちづくりセンター、区役所、地域のキーパーソンにお話を伺い、大阪市港区の「地域自治」の全容に迫ります。

【港区コミュニティを科学する②】では、地域運営の「仕組み」を作られた前港区長の田端尚伸氏にインタビューしました。港区民から厚い信頼を得る田端氏の行政哲学も伺います。

平成23年11月、大阪市長選挙が行われました。市長であった平松邦夫氏と大阪府知事であった橋下徹氏が出馬しました。大阪維新の会を率いる橋下氏は、大阪都構想と公務員制度改革を争点に戦い、22.8万票差で勝利しました。

橋下市長(当時)は、大阪市24区の区長を公募で選びました。平成22年より港区長であった田端氏は、同ポストに応募。50人の応募者がありましたが、書類(論文)選考、第1次面接、最終面接の結果、平成24年8月に田端氏が公募区長として再就任しました。

田端 尚伸(たばた・ひさのぶ)氏

大阪市中央卸売市場 市場長

昭和59年大阪市に就職。総務局、民生局、磯村市長秘書、経営企画室、水道局、ゆとりとみどり振興局、港区長、中央区長を経て、平成29年より現職。

 

インタビュー

 

Q1 今やコミュニティ自治のモデルと言われる港区ですが、どのように地域活動をマネジメント

   されたのですか?

行政、区長といっても、地域活動をマネジメントすることは不可能と思います。でも、地域に自ら「やりたい、やるべきだ」と思っていただけるような、きっかけを作ることはできると思います。

そのアプローチが、私の場合、港区の【強みを活かす】こと、そして後で申し上げる【横糸と縦糸】、【仕組み】、【課題の可視化】でした。

まず、私が理解している港区のプロフィールです。

港区プロフィール① 台風と戦争

港区は戦前のほとんどの期間、人口が一番の区でしたが、土地が低いために室戸台風など大型台風のたびに高潮被害にあいました。

また、大阪港を擁することから戦争で徹底的に攻撃されて焼野原状態となった直後に枕崎台風で約40日間水につかり、人口が1万人を割り込みました。

そして、戦後、実に平成4年まで45年間かけて区域のほぼ全域に地権者の理解を得ながら盛土方式の区画整理事業を実施、その結果、道路が広く平坦で整然としたまちに生まれ変わりました。

災害や戦争による壊滅的な被害を乗り越えてきた区民の「つながりの強さ」がこのまちの「強み」だと思っています。

また、もともと自然災害への危機意識が強いところに、平成23年3月に巨大津波を伴った東日本大震災が起こり、各地域の防災対策にさらに力が入りました。

港区プロフィール② 1地域1小学校

大阪市では小学校の通学区域が複数の地域(連合町会)になっていることが多いのですが、港区は1地域(連合町会)に1小学校、しかも、地域の名前と小学校の名前がぴったりと同じです。

地域の小学校への思いが大変強く、小学校が地域のコミュニティの拠点であることはもちろんですが、教育についても自分たちが関われるところは「自分たちで考える」という素地があります。

また、小・中学校ごとに強固な歴代PTA役員のOB会があり、このOB会は校区を超えて連携するとともに、区全体のOB会「教育親和会」も形成されており、50年を超えて活動を継続されています。

PTAの役員経験者が地域の役員をされることが多く、学校と地域が古くから強く連携しています。

平成22年4月に区長になって、港区のまちを知るにつれて、「子ども」や「防災」というキーワードなら、地域の方に話を聞いていただける距離感が縮まると感じ始めました。

地域活動協議会

ちょうどそのような時期に、大阪市市政改革プランとして、全小学校下で地域活動協議会(以下、地活)の形成をめざすことになりました(平成24年7月)。それまでは10年程度かけてゆるやかに地活を浸透させていくスピード感でしたが、橋下市長就任後は、極めて短期間に地活の形成を促すことになりました。

新しい市政改革では、補助金については「フェア」(公平・公正)、地域運営については「自律」という考え方の軸がありました。地域への補助金は個々の団体の活動補助として交付するのではなく、地活に一括交付することになりました。

小学校区単位の地域の総意の下で地活を形成し、民主的で地域に開かれた運営を行い、地域課題に合わせて柔軟に補助金を活用できるようにする、そして、補助金についてはあくまでも税が財源なので使途の透明性や成果のチェックを求めました。

地活という制度を活用して、「参加機会の平等」と「運営・会計の透明性」を図りながら「地域のことは地域で決める」という自律的な地域運営をめざすことになったのです。

地活への逆風

小学校区単位の地域で地活を形成して自律的な地域運営をめざすことは、小学校単位の地域に強いコミュニティがあり、教育についても、防災についても、地域のことは「自分たちで考える」という自助の意識が強い港区にとってはまさに「追い風」となります。

大阪市から、今までの港区の地域活動にお墨付きをいただき、今後の地域活動は「地活」として応援してもらえる、という受け止めとなるはずだったのですが…。

現実には、他区と同様、強い「逆風」から始まりました。(つづく)

取材・文:梶原千歳 

イラスト:阿竹奈々子

 

【港区コミュニティを科学する②】1 田端尚伸氏

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